書道には、
「どう書かなければならない。」
とか
「どんな書き方をしなければいけない。」
とか、ありません。
何をしても自由です。
ただ、古くから多くの人々に美しいと受け入れられてきた
『古典』には、美しいと受け入れられてきた理由があり
それを臨書し、研究することには、大きな意味があります。
『古典』の研究から出来上がった基礎を学ぶことは、
必須項目だと思うのですが、馬鹿にする人がいますね。
先人が例外なくマスターしてきたことさえ出来ずに
他人が真似できないオリジナルを創り上げられる
とでも思っているのでしょうか?
現実から逃げてるだけだと思います。
他人が真似できないオリジナルを創り上げられる
ことこそが、芸術の目指すところでしょう。
ジャンルは違うけど、ピカソの絵を見たことがありますか?
独創的な絵を描くイメージが強いですが、
生誕地スペインのマラガの美術館にある子供のころの絵を見てみると、
既に、その時代の一流芸術家を凌駕しているのです。
基本がしっかり出来た上で新しいものを創り上げる
天才とはこういう人のことを言うのでしょう。
基礎を学ぶということは
綺麗と言ってもらえる字を書けるようになる近道だと考えています。
芸術性や個性を追求するのは、基礎をしっかり学んだ後
自由に楽しんでいけばいいのだと思っています。
ただ、自由とはいえ『書』とは文字を書くものなので
読めないのはおかしいと思ってます。
文字として読めないモノは、書いたのではなく
描いたのであって絵画ではないでしょうか?
ルールは、「文字として読める」それだけ・・・
一緒に楽しんでいきましょう♪